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update: 2005.07.14    

●2005年

07/06/2005 三船浩さん(享年75歳) 演歌歌手
新潟県妙高市出身。新潟のラジオ番組製作から、上京して歌手に転身、1956年、「男のブルース」でデビュー。代表作に「夜霧の滑走路」などほか、「月光仮面」「豹の目」などの主題歌も歌った。1991〜95年には日本歌手協会理事長を務めている。心筋梗塞のため東京都府中市の病院で死去。
07/06/2005 アーネスト・レーマン(リーマン)さん(享年89歳) 脚本家、小説家
ニューヨーク・ロングアイランド生まれ。大学卒業後、フリーランスのライターになるものの生活に困り、ブロードウェーの劇場関連出版社のコピーライターをはじめた。この仕事が後に「成功の甘き香り」の原作小説と脚本に生かされている。その後、脚本家、小説家となる。ヒッチコックの「北北西に進路を取れ」、映画版の「ウエスト・サイド物語」、「サウンド・オブ・ミュージック」、「王様と私」、「ハロー・ドーリー」、「逆転」などの脚本のほか、「麗しのサブリナ」、「バージニア・ウルフなんか怖くない」などの脚色を手掛けた。72年の「Portnoy's Complaint」では製作監督脚本原作と一人で全てをこなしている。その他にコスモポリタンなどの雑誌に多数の短編、小説を連載、発表し、小説家としても著名。01年にアカデミー賞の名誉賞を受けている。肺炎による心不全にて死去。
07/06/2005 エド・マクベイン(エバン・ハンター)さん(享年78歳) 作家、脚本家

ニューヨークで生まれる。本名はエバン・ハンター。エド・マクベインをはじめ、カート・キャノン、ハート・コリンズ、リチャード・マーステンなどのペンネームを使い分けて活動してきたが、日本ではエド・マクベインの名で親しまれている。教師から作家に転身し、自らの教師時代の体験を元に1954年、高校生の非行を描いた「暴力教室」を発表し、ベストセラー作家となる。様々な小説を発表し、脚本家としても映画界に進出した。56年から発表されている警官たちの活躍を描く「87分署シリーズ」が人気となった。テレビ番組では「鬼警部アイアンサイド」や「刑事コロンボ」でもいくつかのストーリーを手がけている。ヒッチコック監督のサスペンス映画「鳥」の脚本も担当。「刑事キャレラ」、「複数犯罪」、黒澤明の「天国と地獄」、市川崑の「幸福」、岩内克己の「恐怖の時間」なども彼の原作小説を元にして作り出されたもので、日本でも翻訳されている小説が多数ある。長編小説、短編、戯曲、映画脚本など100作を超える作品を量産し、売り上げ総数は世界中で1億冊以上とされる。86年に米探偵作家クラブ賞の巨匠賞を受賞した。コネチカット州の自宅で喉頭(こうとう)がんのため死去した。

07/03/2005 アルベルト・ラトゥアーダさん(享年90歳) 映画監督
イタリア・ミラノ生まれ。作曲家フェリス・ラトゥアーダの息子。学生時代から文学に興味を持ち、18歳にしてアンチファシズムの雑誌の編集者の一員となる。1940年に脚本家、助監督として映画と関わりはじめ、43年に監督デビュー。50年にはフェデリコ・フェリーニの監督デビュー作となった「寄席の脚光」を共同監督した。以降、「芽ばえ」「テンペスト」「十七歳よさようなら」「マッチレス 殺人戦列」「黄色い戦場」「今のままでいて」「スキャンドール」「心の棘」ほかを監督。過激な性表現やモラル観などで物議を醸すことも多い問題作を発表してきた。
07/03/2005 ピエール・ミシュロさん(享年78歳) ジャズ・ベーシスト
フランス生まれ。幼少時からピアノを学ぶも、16歳の時にクラッシック系のコントラバスに転向。その後、ジミー・ブラントンとオスカー・ペティ・フォードの演奏に刺激され、ジャズを志す。第二次世界大戦後、パリでアメリカ人のジャズ・プレーヤーらと共演し、48年、レックス・スチュワートのレコードで初録音。以降、コールマン・ホーキンス、レスター・ヤング、バッド・パウエル、デジー・ガレスピーらと共演した。ジャンゴ・ラインハルトの最後の録音にも参加し、彼の死に際して、霊感を受けたと発言している。ケニー・クラークらとトリオを組んでいたとき、マイルス・デイヴィスが彼らを招集して、57年のルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」のサウンドトラック盤を製作した。フランスのみならず、ヨーロッパ屈指のジャズ・ベーシストとして長年活動を続けてきたが、アルツハイマー病を長い間患っており、それが原因で死去した。
07/01/2005 天野滋さん(享年52歳) フォーク歌手
岩手県一関市生まれ。1969年 国立一関工業高等専門学校(高専)在学中に学園祭用の先輩のバンドに、同級生の中村貴之、平賀和人と参加したのをきっかけに、72年、3人が集まってニュー・サディスティック・ピンク(NSP)を結成。デモテープ「あせ」が岩手のNHKのFMリクエストアワーで取り上げられて、岩手で人気となる。第5回ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)岩手大会をか勝ち抜き、東北大会、本大会へと出場し、ニッポン放送賞など受賞。4作目のシングル「夕暮れ時はさびしそう」35万枚のヒット。77年、彼の初のエッセイ集「歳時記」発売。87年 平賀脱退を期に、NSPは事実上活動を停止し、ソロ活動に入る。2002年 オリジナルメンバーでNSPが復活。代表曲に「夕暮れ時はさびしそう」「赤い糸の伝説」「弥生つめたい風」など。脳内出血のため東京都目黒区の病院で死去した、
07/01/2005 レナルド・ベンソンさん(享年69歳) ソウル歌手
ニューヨーク・ロチェスターで生まれる。
07/01/2005 ルーサー・ヴァンドロスさん(享年51歳) ソウル歌手、音楽プロデューサー
06/28/2005 松村達雄さん(享年90歳) 俳優
神奈川県横浜市生まれ。法政大学予科、日本大学専門部芸術科を経て、法政大学経済学部に復籍し、ラグビー部で快速の左ウィングとして活躍した。 1938年に大学を卒業。旧新協劇団研究生となるが1942年に召集され、第二次大戦で兵役についた。復員後、1952年に新劇常打ち小屋「五十人劇場」を創設。 テレビドラマや映画、舞台で精力的に活躍した。映画「まあだだよ」「上意討ち 拝領妻始末」「どですかでん」「喜劇 駅前弁当」「忠臣蔵 47人の刺客」「キングコング対ゴジラ」「電送人間」「二十四の瞳」「善人の条件」「英二」、テレビ「若い季節」「赤い疑惑」「赤い嵐」「赤い死線」「少女に何が起こったか」「憲法はまだか」「元禄繚乱」「課長さんの厄年」など。「男はつらいよ」シリーズでは、1972年から亡くなった森川信の後を継ぎ、「柴又慕情」から「寅次郎恋やつれ」までの5作で2代目おいちゃんをつとめた。映画では2004年の「解夏」、テレビでは「それからの日々」が遺作となった。東京俳優生活協同組合に所属していた。1961年にドラマの生放送時代の活躍が認められ、第1回放送作家協会賞男優演技賞受賞。1991年、勲四等瑞宝章受章。1981年に肺がんの手術を受け、右肺の3分の1を切除。 心不全のため死去。
06/28/2005 ブルース・マルムースさん(享年71歳) 映画監督
ニューヨーク・ブルックリン生まれ。陸軍従軍中にドキュメンタリーを手掛けた。そこで野球実況中継の名アナウンサーとして知られているウォルター・バーバーと会い、影響を受ける。除隊後、WPIXラジオでヤンキースのゲーム中継を担当し、テレビ映画業界に進出。テレビコマーシャルの製作で成功後、S・スタローン主演の「ナイトホークス」や、S・シーガルの「ハード・トゥ・キル」、「フォー・プレイ」などの映画やテレビ番組を監督。「ベスト・キッド」ではアナウンサー役で俳優として出演した。食道がんのためロサンゼルスの病院で死去した。
06/25/2005 チェット・ヘルムズさん(享年62歳) 音楽プロモーター

カリフォルニア州サンタ・マリア生まれるも、9歳の時父が死亡して母親の郷里テキサスに移住し、ミズリーなどの南部で暮らす。ファンダメンタリストの祖父に影響を受け、公民権運動に早くから参加し、人権活動家として知られていた。テキサス大学に入学するも中退。62年にテキサスからサンフランシスコに少年時代の友人らを伴って移住した。ローリング・ストーンズのサンフランシスコ公演に刺激されて、バンド活動をはじめた。テキサス大学在学中、学内で唄っていたジャニス・ジョプリンに目をかけていたが、彼女を説得してサンフランシスコに招き入れ、「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」を結成。その後、プロモーターとなり、サンフランシスコで始まったフラワー・ムーブメントの仕掛け人の一人となった。ジャニス・ジョプリンをプロモートし、彼女をスターダムに押し上げた。フリー・コンサートを提唱、サイケデリック・ロックのプロモーターとして、グレートフル・デッド、ジェファーソン・エアプレーンらをサポートし、後の音楽界に多大な影響を与えた。その後、もう一方の仕掛け人ビル・グラハムのコマーシャル路線と対立し、70年に音楽プロモート活動から撤退した。フリー・コンサートに見られるように、商業的な部分にこだわらない彼の姿勢は、グラハムとは相容れないものだった。ヒッピー文化の実践者、立て役者として活動した。脳卒中の合併症のため米サンフランシスコで死去。

06/24/2005 ポール・ウィンチェルさん(享年82歳) コメディアン、声優
ニューヨーク生まれる。腹話術という芸能の創造者エドガー・バーゲン(キャンディス・バーゲンの実父)のラジオ番組に影響を受け、腹話術を志す。フランク・シナトラやスリム・ゲーラードらを輩出した「Major Bowes Original Amateur Hour」で腹話術を操り優勝して、ラジオ番組のレギュラーとなり、人気を博す。48年にテレビ番組「The Bigelow Show」、50年からは「The Paul Winchell and Jerry Mahoney Show(The Speidel Show)」「Winchell Mahoney Time」にレギュラー出演し、大人気となる。50年代に2体の人形を屈指した腹話術で一世を風靡した。その後、ハンナ・バーベラ製作のアニメーション「宇宙家族ジェットソン」に声優で出演し、以降「チキチキマシン猛レース」「原始家族フリントストーン」「ほえよ!0011」「いたずら動物天国」などに出演。ディズニーのアニメ映画「くまのプーさん」では、トラのティガー役を68年から長年勤めていた。74年にはプーさん映画の歌でグラミー賞を受賞した。発明家でもあり、初期の人工心臓や使い捨てカミソリ、火なしライターなど30もの特許を持っており、これらのパテントで億万長者となった。また59年にはコロンビア大学に通い、鍼灸医学博士ともなっている。鍼灸医、催眠術士としても著名で、パテント料から教育機関へ多額の寄付を惜しまず、後輩の育成に尽くした。女優のエイプリル・ウィンチェルは実娘。ロサンゼルス近郊の自宅で老衰のため死去した。
06/16/2005 デビッド・ダイヤモンドさん(享年89歳) 作曲家
1915年、ニューヨーク・ロチェスターで生まれる。クリーブランド音楽院、イーストマンスクールで、ロジャー・セッションなどに付き、音楽を学ぶ。30年代にパリに移住した。1973年より90年代まで、ジュリアード音楽院で教鞭をとった。代表作に1944年の弦楽のための「Rounds」、「テンペスト」「詩編/チェロと管弦楽のためのカディッシュ」など。旋律と調律に重きをなすロマン派的な音楽を重視し、現代音楽に一石を投じた。交響曲を11曲、四重奏曲を10曲、世に送り出したほか、映画音楽も4作品ほど手掛けている。心不全にてロチェスターで死去した。
06/14/2005 カルロ・マリア・ジュリーニさん(享年91歳) 指揮者
イタリア南部プーリア州バルレッタ生まれ。16歳でローマのサンタチェチーリア音楽院に入学しヴァイオリン、ヴィオラ、作曲を学び、ヴィオラ奏者として音楽人生をスタートさせる。その後、指揮科に再入学し、ベルナルディーノ・モリナーリに師事して指揮を学んだ。リヒャルト・シュトラウス、ブルーノ・ワルター、ウィレム・メンゲルベルク、ウィルヘルム・フルトベングラーら、世紀の巨匠の指揮を楽団のヴィオラ奏者として体験した。44年のローマ開放記念コンサートで、アウグステオ管弦楽団を指揮してデビュー。ローマ・イタリア放送交響楽団、ミラノ・イタリア放送交響楽団の音楽監督を歴任後、ベルガモ音楽祭にてヴェルディの「椿姫」を振ってオペラデビュー。52年、ミラノ・スカラ座デビューして、翌年、スカラ座首席指揮者に就任。その後、シカゴ交響楽団、ベルリン・フィルハーモニー、ウィーン交響楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニーなどと共演。マリア・カラスやアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリら、孤高の芸術家たちとも共演した。モーツァルトからブルックナーに至るウィーン音楽に傾倒しながらも現代音楽をも取り上げ、レパートリーは広かったが、ワーグナーの作品は一度も取り上げることはなかった。聖人と称されるほどの人格者としても知られ、家族第一主義で、騒がれるのをあまり好まなかった。日本でも非常に人気が高かった。98年10月、引退し、第一線から退いていた。イタリア北部ブレシアの病院で死去した。
06/13/2005 レーン・スミスさん(享年69歳) 俳優

アル・パチーノ、ダスティン・ホフマンらとともにアクターズ・スタジオで学び、俳優となる。主演クラスでの出演は少ないが、演技力に定評のある非常に評価の高い俳優だった。テレビシリーズ「新スーパーマン」で編集長役が有名。映画「プリズン」「エア・アメリカ」「いとこのビニー」「飛べないアヒル」、テレビ番組「知られざる戦場」「V」ほか多数。筋委縮性側索硬化症にて死去。

06/11/2005 ゲーナ・ディミトローバさん(享年64歳) オペラ歌手、声楽家

ブルガリア北部プレベン近郊の出身。教会の聖歌隊で唄っていたところを見い出され、ブルガリア国立音楽院の高等部に入学し、そのまま音楽院に進んで、オペラ、声楽を学ぶ。その後、スカラ座でイタリアン・オペラを学び、1967年、ヴェルディの「ナブッコ」でスカラ座で公式オペラデビュー。ミラノのスカラ座、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスなどに出演した。84年にザルツブルグ音楽祭でカラヤンとヴェルディの「マクベス」で共演。87年にメトロポリタン歌劇場でプッチーニの「トゥーランドット」のプリマで好評を博し、レヴィンやパヴァロティらと10シーズンに亘って上演された。ベルディやプッチーニのイタリアン・オペラをレパートリーとし、並はずれた声量ながらも叙情的な表現で知られた。

06/06/2005 ダナ・エルカーさん(享年77歳) 俳優
オランダ系移民の家に生まれ、ミシガン大学に在学中に劇団を興し、俳優となる。舞台で活動しながら、20代後半からテレビドラマの世界に進出。主にテレビドラマで活躍しながら、映画にも出演している。映画の代表作は『スティング』での連邦捜査官役がよく知られている。テレビドラマの代表作は『冒険野郎マクガイバー』の主人公マクガイバーの上司で親友役のピーター役が特に有名で印象深い。足かけ7年間に及んだ長寿番組となったこのシリーズでは、第4シーズンに、エルカーは緑内障にかかって視力が失われていくという不幸に見舞われることになる。しかし、製作者との共同作業で、ドラマの中でもピーターが視力を徐々に失う設定に作り替えて、実際の病状とドラマがシンクロしながら、彼の苦悩する姿を描き出演を続けた。視力を失ってからも、特製のコンピューターつき盲人用解読装置で台本を読み、『冒険野郎マクガイバー』をはじめ、いろいろな番組にゲスト出演し、盲人役を演じた。この他に『刑事バレッタ』のバレッタの上司、『ジェミニマン』の博士役など、50本近いテレビドラマでレギュラーとして活躍した。肺炎に伴う合併症のため、ロサンゼルスの病院で亡くなった。
06/06/2005 漣健児さん(享年74歳) 詩人、音楽雑誌編集長、音楽出版社経営、音楽事務所経営
06/06/2005 アン・バンクロフトさん(享年73歳) 女優
ニュー・ヨーク州ブロンクス生まれ。1952年、『ノックは無用』でスクリーン・デビュー。しかし、人気は出ず、助演クラスで多数のB級作品に出演。58年にニュー・ヨークへ戻り、舞台に進出。翌年、舞台『奇蹟の人』にサリバン先生役で出演し、これで好評を博してNY演劇批評家賞とトニー賞を受賞した。62年に『奇蹟の人』が映画化されたとき、低予算での撮影を強いられたため、舞台に出演していたバンクロフトにサリバン先生役が廻ってくることになって映画に復帰。これでアカデミー主演女優賞を獲得した。67年の『卒業』では主人公の恋人の母親で主人公を誘惑する妖艶なロビンソン夫人を演じて、話題を集めた。『ヒンデンブルグ』『リップスティック』『愛と喝采の日々』『エレファント・マン』『G.I.ジェーン』『大いなる遺産』などに出演している。夫はメル・ブルックスで、彼の作品『サイレント・ムービー』や『メル・ブルックスの大脱走』などにも出演し、有能なコメディエンヌとしての一面も見せた。テレビドラマにも多数出演。がんのため、ニューヨークのシナイ病院で死去した。
05/29/2005 オスカー・ブラウンJRさん(享年78歳) ボーカリスト、脚本家、詩人、人権活動家
05/26/2005 エディ・アルバートさん(享年99歳) 俳優
イリノイ州ロックアイランド生まれ。ミネソタ大学卒業後、しばらくサーカスで空中ブランコの演者となるが、後に役者、ラジオドラマの声優に転身。1936年に制作された、もっとも初期のテレビ実験放送にも出演した。1938年の映画『Brother Rat』に出演を皮切りに、映画をはじめ、様々なテレビ番組に出演した。『ローマの休日』(1953年)では、記者役のグレゴリー・ペックと行動をともにするカメラマン役、『攻撃』(1956年)ではおくびょうで無能な部隊長、『刑事コロンボ』の「ホリスター将軍のコレクション」(1971年)で将軍役、『ロンゲスト・ヤード』(1974年)の刑務所長など、印象深い役を歴演した。その他に『オクラホマ!』(1955年)、『ふたり自身』(1972年)、『マックQ』(1973年)、TV番組『華麗な探偵ピート&マック』(1976年)、『ブレンダ・スター』(1988年)など。ロサンゼルス郊外の自宅で、肺炎で死去。
05/25/2005 イスマイル・マーチャントさん(享年68歳) 映画プロデューサー
インドのムンバイ・マハラシュトラ生まれ。58年にニュー・ヨーク大学に留学。 ショートフィルム「The Creation of Woman」を1961年に監督し、これがアカデミー賞のショートフィルム部門にノミネートされた。その後、USCで映画を学び、ショートドキュメントを撮っていたジェイムズ・アイボリーと出会い、マーチャント・アイボリー・プロダクションズを設立し、『新婚生活』を製作する。以後、アイボリーと生涯パートナーシップを続けるその後、『ローズランド』(1977年)、『熱砂の日』(1982年)、『ボンベイの踊り子たち』(1982年)などを共同で手がけ、『眺めのいい部屋』(1986年)で、脚本賞などのアカデミー賞を受賞。『ミスター&ミセス・ブリッジ』(1990年)、『ハワーズ・エンド』(1992年)、『コットン・メリー』(1999年)を世に送り出した。ロンドンの病院で死去。
05/17/2005 フランク・ゴーシンさん(享年72歳) 俳優、コメディアン
ピッツバーク生まれ。ハイスクール時代に劇場員のアルバイトをして、アル・ジョルソン、ジェームス・カグニーらの芸を生で見て、彼らに憧れる。17歳の時にタレントコンクールで優勝し、カルセルナイトクラブに1週間出演できる副賞をもらって、芸能生活をスタートさせた。芸能学校に通って演劇を学ぶも、19の時、徴兵される。朝鮮戦争に従軍したが、慰問活動をする特別チームで戦時を過ごした。そこで知り合ったモーリス・バーグマンが戦後、彼をハリウッドに紹介、TV俳優の仕事を始めている。ベガスのショーにも出演し、マーロン・ブランド、バート・ランカスターらのものまねで有名となった。66年に『バットマン』の敵役ナゾラー(リドラー)に抜擢され、人気となる。69年、『スタートレック』の「惑星セロンの対立」に出演し、トレッキーの間でも人気が高い。『シャム猫FBI/ニャンタッチャブル』『バットマン&ロビン ザ・リターン』など多数の作品に出演。03年に肺ガンと診断されるも舞台に立っていた。入院先のカリフォルニア州バーバンクの病院で死去した。
05/12/2005 モニカ・セッテルンドさん(享年67歳) ジャズ・ボーカリスト、女優
スウェ、歌手デビュー。60年からニューヨークに進出し、64年、ジャズ・ピアノの巨人、ビル・エバンスと共演した『ワルツ・フォー・デビィ』でボーカリストとして世界に認知された。この年から女優業にも進出し、スウェーデンのテレビドラマを中心に活動する。アルバムはその他に、『メイク・マイン・スウェディッシュ・スタイル』『フォー・レスター・アンド・ビリー』など。寝煙草が原因と見られる火事で、ストックホルムの自宅で亡くなった。
04/28/2005 パーシー・ヒ−スさん(享年81歳) ジャズ・ベーシスト
04/28/2005 レーン・ナカノさん(享年80歳) 俳優

ロサンゼルス生まれの日系人俳優。第2次世界大戦中に、日系人志願兵による二世部隊に配属され、欧州戦線に従軍した。その間、家族はワイオミング州ハート・マウンテンの日系アメリカ人強制収容所に収容された。戦後、俳優となり、ロバート・ピロッシュ監督の『二世部隊』(1951年)で彼の実体験さながらの日系アメリカ兵役を演じた。その他に『東は東』(1951年)など、1960年くらいまで俳優として活躍した。ロサンゼルスの病院で肺気腫のため死去。

04/26/2005 マリア・シェルさん(享年79歳) 女優
オーストリア・ウイーン出身。父は作家で、母は女優。第二次世界大戦中はナチスの迫害を避け、スイスに移住。ヘルムート・コイトナー監督の『最後の橋』(1954年)でカンヌ映画祭の女優賞を取り、トップスターに躍り出て、ルネ・クレマンの『居酒屋』(1956年)で世界的名声を得る。他に『カラマゾフの兄弟』(1957年)、『白夜』(1957年)、『オデッサ・ファイル』(1974年)などに出演。俳優のマクシミリアン・シェルは実弟。肺炎のため死去。
04/23/2005 ジョン・ミルズさん(享年97歳) 俳優
イギリス・サフォーク州出身。1929年、舞台デビュー。劇作家ノエル・カワードと出会い、彼の舞台に立つようになる。32年スクリーンデビュー。『チップス先生さようなら』(1939年) でアメリカに進出。42年にカワードとデヴィッド・リーンの共同監督作品『軍旗の下に』(リーンの処女監督作品)に出演してから、以降、リーン作品の常連俳優となる。『大いなる遺産』(1946年) 、『南極のスコット』(1948年)、『クロスボー作戦』(1965年)などに出演し、リーンの『ライアンの娘』(1970年)でアカデミー助演男優賞を受賞。他に『八十日間世界一周』(1956年)、『ズールー戦争』(1979年)、『ガンジー』(1982年)など。73年にナイトの称号を得た。90年代にはほとんど視力を失っていながらも、盲目の人の役などで俳優を続けていた。ジュリエットとヘイリーの娘2人は女優。
04/19/2005 ジョルジ・パン・コスマトスさん(享年64歳) 映画監督
イタリア・フィレンツェ生まれ。オットー・プレミンジャーの『栄光への脱出』(1960年)やマイケル・カコヤニスの『その男ゾルバ』(1964年)で助監督を務め、監督に。監督・脚本を担当した『カサンドラ・クロス』(1976年)の大ヒットで、世界的名声を得る。その他に『オフサイド7』(1979年)、『ランボー/怒りの脱出』(1985年)、『コブラ』(1986年)、『リバイアサン』(1989年)など。肺ガンのため死去。
04/19/2005 ニールス・ペデルセンさん(享年58歳) ジャズ・ベーシスト
04/13/2005 ジョニー・ジョンソンさん(享年80歳) ピアニスト、作曲家
チャック・ベリーの右腕として活躍し、ロックン・ロールのピアノスタイルを確立した。チャック・ベリーの代表曲「ジョニー・B・グッド」のジョニーは彼のことで、彼に捧げた曲としても有名。近年もキース・リチャーズなどと共演し、多くのミュージシャンから敬愛される存在だった。2001年に「ロックンロール名誉の殿堂」入りを果たしている。
04/02/2005 ジャック・ケラーさん(享年68歳) ソングライター、プロデューサー
03/13/2005 リン・コリンズさん(享年56歳) ソウル系歌手
70年からジェームス・ブラウンのバッキングボーカルを努めて、その後、ブラウンのプロデュースにより、ソロデビュー。JBとのデュエット曲「恋が欲しくて」、「シンク」など。「シンク」はロブ・ベース&DJイージー・ロックの大ヒット曲「It Takes Two」でサンプリングされて、再び注目を浴びた。ディオンヌ・ワーウィック、アル・グリーン、アイザック・ヘイズなどのバッキングも担当。心臓の不整脈で死去。
03/06/2005 テレサ・ライトさん(享年86歳) 女優
ウィリアム・ワイラー監督の『ミニヴァー夫人』(1942年)でアカデミー助演女優賞を獲得。『打撃王』(1942年)、ヒチコックの『疑惑の影』(1942年)、ワイラーの『我等の生涯の最良の年』(1946年)などに出演した。老いてからも『レインメーカー』(1997年)、『ある日どこかで』(1980年)などに出演し、存在感を示した。心臓発作で死去。
02/28/2005 クリス・カーティスさん(享年62歳) ドラマー
日本では1964年の「恋の特効薬(ラブ・ポーションNo.9)」で知られるザ・サーチャーズのオリジナルメンバー。ジョン・ロードとリッチー・ブラックモアを加えて、ディープパープルの前身となるラウンドアバウトを結成。ただし、レコーディングはなく、カーティスが外れて、残った2人が核となってディープパープルは結成された。
02/26/2005 ヨゼフ・メッテルニヒさん(享年89歳) オペラ歌手・声楽家
ケルン生まれ。1939年、ベルリンのオペラ座でデビュー。ウィーン歌劇場に所属し、53年にドイツ人として初めてメトロポリタン歌劇場などに出演した。世界で最も著名なバリトン歌手の一人といわれ、多数のレコードを残している。71年のオペラ引退後は、ケルン音楽院のマスタークラスで歌唱指導を続け、多くの後進を指導していた。
02/25/2005 エドワード・パッテンさん(享年62歳) ソウル系歌手
グラディス・ナイト&ザ・ピップスのザ・ピップスのメンバー。66年に契約したモータウンで「恋の苦しみ」(1970年)、「さよならは悲しい言葉」(1973年)などのヒットをとばし、その後移籍してから「夜汽車よジョージアへ」がメガヒットとなった。1989年にナイトがソロ活動を本格化させたため、ピップスは事実上、活動休止状態だった。96年、グラディス・ナイト&ザ・ピップスは「ロックンロール名誉の殿堂」入りを果たしている。脳卒中のため死去。
02/21/2005 サンドラ・ディーさん(享年62歳) 女優
モデルから1957年、女優に転身した。あっという間にティーンエイジ・スターとなり、同じくスターだったトロイ・ドナヒューと共演した『避暑地の出来事』(1959年)で押しも押されぬアイドル・スターとなった。『九月になれば』(1961年)、『タミーとドクター』(1963年)などに出演。1961年の『九月になれば』で歌手のボビー・ダーリンと共演し、これが縁で彼と結婚。しかし、67年に離婚。ビック・カップルとして人気があったため、離婚はディーにとってダメージとなり、離婚後は振るわなかった。晩年はアル中、拒食症、躁鬱などを患っていた。
02/04/2005 オジー・デイヴィスさん(享年87歳) 俳優、映画監督

ジョージア生まれ。1946年にブロードウェー・デビュー。50年にスクリーンデビューして映画の世界にも進出した。マルコムX、マーティン・ルーサー・キングと盟友関係にあった彼は、両人の葬式で悼辞を述べている。スパイク・リーの『マルコムX』(1992年)でも、その弔辞が使用された。その姿勢からも推測されるように公民権運動を推し進めた闘士で、黒人差別問題に積極的に取り組んだ。主な出演作品は『ラブリー・オールドメン』(1994年)、『ジャングル・フィーバー』(1991年)、『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年)など。『ゴードンの戦い』(1973年)、『ロールスロイスに銀の銃』(1970年)などで監督も務めている。妻で女優のルビー・ディーとはテレビシリーズ『ルーツ』など多数の作品で共演した。デンゼル・ワシントンら、後進の黒人俳優に多大な影響を与える。新作映画『リタイアメント』の撮影先のフロリダ州のホテルで死去。発表では自然死となっている。

01/29/2005 エリック・グリフィスさん(享年64歳) ギターリスト
ビートルズの前身バンド、クオリーメン創設メンバー。ジョン・レノンとツインギターで、クオリーメンで活動。1958年、海軍入りで脱退。1997年に再結成され、『ソングス・ウイ・リメンバー』をリリース。膵臓がんにて死去。
01/28/2005 ジム・キャパルディさん(享年60歳) ドラマー、ソングライター
スティーブ・ウィンウッド、デイブ・メイソン、クリス・ウッドとともに組んだトラフィックのオリジナルメンバー。1974年の解散とともに、ソロ活動。その後、自分のグループ、ザ・コンテンダーズを組んだ。94年にウィンウッドとともにトラフィックを再結成。トラフィックは2004年に「ロックンロール名誉の殿堂」入りを果たしている。胃がんのため死去。
01/22/2005 コンスエロ・ベラスケスさん(享年80歳) 作曲家、ピアニスト
メキシコのピアニスト兼女性作曲家で、1941年、17歳の時に発表した「ベサメ・ムーチョ」が、後にジミー・ドーシー・オーケストラ、アンディ・ルーセル、トリオ・ロス・パンチョスらに取り上げられて、世界的大ヒットとなった。「カチート」も彼女の作品。他に「お幸せに」、「愛することと生きるこ と」、「苦い真実」など多数の作品がある。メキシコ・ビクターの社長と結婚して、外には出ず、コンサートを開くことは稀だった。心臓疾患のため死去。
01/17/2005 ベゼーハ・ダ・シウヴァさん(享年77歳) ミュージシャン
ブラジルのペルナンブコ州出身で、建設作業員だったが、ミュージシャンに転身した。1969年に初レコーディング。しかし、77年まで売れなかった。貧困層の生活をユーモラスに歌い、サンバンジド(悪党のサンバ)と呼ばれる独自のスタイルを確立した。貧民街の無名の作曲家たちの作品を取り上げ、社会的格差や差別などをラップのようにメッセージ的に歌った。マランドロ(ならずもの)の愛称で絶大な支持を受けた。1995年には3大テノールをパロった『オス・トレス・マランドロス・イン・コンセルト』を発表して話題を呼んだ。
01/15/2005 ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスさん(享年84歳) オペラ歌手・声楽家

●2004年

12/30/2004 アーティー・ショーさん(享年94歳) ジャズ・クラリネット奏者 バンドリーダー
12/19/2004 レナータ・テバルディさん(享年82歳) オペラ歌手、声楽家
イタリア生まれのデバルディはカルメン・メリスに師事して声楽を学び、1944年、『メフィストフェレ』でエレーナを演じてオペラ・デビューを果たした。その後、アルチュロ・トスカニーニに認められ、ミラノのスカラ座デビュー。トスカニーニに「天使の声」と称賛された。55年、メトロポリタン歌劇場に出演、63年に声帯を痛めて一時活動を休止。64年、復帰後もオペラに出演し続けたが、76年、惜しまれながらも若くして引退していた。
11/29/2004 テリー・メルチャーさん(享年64歳) ミュージシャン、プロデューサー
ドリス・デイの息子。アルドン・ミュージックに出入りして音楽製作を学ぶ。ブルース・ジョンストンとブルース&メルチャーを結成。盟友ビーチ・ボーイズとともにサーフミュージックをリードした。その後、プロデューサーに転身し、バーズの「ミスター・タンブリンマン」をプロデュース。ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンから狂信的なヒッピーの教祖チャールズ・マンソンを紹介され、レコードデビューの骨を折ったがかなわず、マンソンに逆恨みされた。マンソンがメルチャーを殺そうとして送った刺客が、メルチャーがかつて住んでいた家にいた映画監督ロマン・ポランスキー一家を襲い、夫人で女優のシャロン・テートが殺害されている。ビーチ・ボーイズの「ココモ(Kokomo)」(1989年)は彼のプロデュースしたもの。皮膚がんのため死去。
11/14/2004 ミシェル・コロンビエさん(享年65歳) 映画音楽家・バレエ音楽作曲家
小さいころから音楽を学んでいたが、プロとしての最初の仕事はバークレー・レコードの音楽監督。クインシー・ジョーンズがプロデュースしたシャルル・アズナブルの英語歌デビュー盤にアレンジャーとして参加した。その後、モーリス・ベジャールの仕事に関係して、バレエ音楽の世界に入り、ミハイル・バリシニコフやアメリカン・バレエ・シアターなどの音楽を担当する。ペトラ・クラークが彼を自分の音楽監督に指名したことから、A&Mの音楽プロデューサーに就任。その後、映画音楽も担当するようになる。『リスボン特急』(1972年)、『殺したい女』(1986年)、『メジャーリーグ2』(1994年)、『ステラが恋に落ちて』(1998年)、『スウェプト・アウェイ』(2002年)他があるが、映画監督フィリップ・ラブロとのコラボ(『相続人』(1973年)、『潮騒』(1974年)、『危険を買う男』(1976年))が特に印象的。がんにて死去。
11/14/2004 オール・ダーティー・バスタードさん(享年35歳) ラッパー
ヒップホップ界で絶大な人気を誇ったウータン・クランの創立時のメンバー。2001年、麻薬不法所持で逮捕されたことがある。薬物摂取のため、スタジオ内で胸の痛みを訴え、そのまま死亡した。
11/13/2004 カルロ・ルスティケリさん(享年87歳) 映画音楽家
11/07/2004 ハワード・キールさん(享年85歳) ミュージカル俳優

第2次世界大戦中、ダグラス飛行機工場で士気高揚のために歌っていたというキールは、1946年、オスカー・ハマースタイン2世が『回転木馬』のブロードウエイ公演に際して、彼を主役に抜擢したことから、ミュージカル俳優としてのキャリアをスタートさせている。その後、MGMからミュージカル映画俳優のオファーがあり、『アニーよ銃をとれ』(1950年)で主役のベティ・ハットンの相手役となったことから人気が出る。『ショウ・ボート』(1951年)、『キス・ミー・ケイト』(1953年)、『掠奪された七人の花嫁』(1954年)などのに出演。映画の衰退とともに活動をテレビに映し、テレビドラマ『ダラス』(1971年)で石油王を演じて再び、大きな人気を獲得した。

11/05/2004 ロドニー・デンジャーフィールドさん(享年82歳) コメディアン
アダム・サンドラーの師匠筋にあたるアメリカ・コメディ界の重鎮。チェビー・チェイス主演のコメディ『ボールズ・ボールズ』(1980年)、『バック・トゥ・スクール』(1986年)、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994年)、『キャスパー』(1995年)などにの映画にも出演している。「I can't get no respect」のギャグで一世風靡し、1981年、アルバム『No Respect』でグラミー賞も獲得している。近年はカルト的ともいわれるラエリアン・ムーブメントのクローンエイド計画に賛同して、話題となった。
10/23/2004 ロバート・メリルさん(享年87歳) オペラ歌手・声楽家
41年、デビュー。45年にメトロポリタン歌劇場の専属のバリトン歌手となる。50年代はレオナルド・ウォーレンと主役の座を分け合い、『カルメン』や『セビリアの理髪師』、『ラ・トラヴィアータ』などを好演した。ウォーレン死後の60年代以降はメトロポリタン歌劇場の主役に君臨した。同歌劇場史上、最も偉大なバリトン歌手の1人と評される。1976年にメトロポリタン歌劇場を引退。ヤンキースファンで、引退後もヤンキースの本拠地開幕戦では30年にわたって国歌斉唱を行った。
10/05/2004 ジャネット・リーさん(享年96歳) 女優
ヒチコック監督の名作『サイコ』(1960年)の冒頭の、シャワーを浴びていて刺し殺されるシーンが非常に有名な女優さん。トニー・カーチスと結婚も、62年離婚。他に『若草物語』(1949年)、『黒い罠』(1958年)など。
09/19/2004 スキーター・デイヴィスさん(享年72歳) カントリー歌手
09/15/2004 ジョニー・ラモーンさん(享年53歳) ロック・ギターリスト

08/26/2004 ローラ・プラニガンさん(享年47歳) 歌手

1982年のファーストアルバム『グロリア』に収録された「グロリア」で大ヒットを飛ばした。その後、『タッチ』(1987年)、『オーヴァー・マイ・ハート』(1993年)などのオリジナルアルバム6枚を発表し、「哀しみのソリテアー」、「ラッキー・ワン」などのヒットを飛ばしている。96年、夫の死後、維持活動を停止していたが、01年に復帰していたが、脳動脈りゅうのため突然死去されている。
08/18/2004 エルマー・バーンスタインさん(享年82歳) 映画音楽家
08/08/2004 フェイ・レイさん(享年96歳) 女優
世界最初の怪獣映画『キング・コング』(1933年)で、コングにさらわれ、エンパイアステートビルの上で泣き叫んだ女優さん。『国際盗賊ホテル』(1931年)、『奇傑パンチョ』(1934年)などに出演。
08/06/2004 リック・ジェームスさん(享年56歳) ファンク・ミュージシャン
07/31/2004 朱里エイコさん(享年58歳) 歌手
07/21/2004 ジェリー・ゴールドスミスさん(享年76歳) 映画音楽家
07/13/2004 カルロス・クライバーさん(享年74歳) 指揮者
06/10/2004 レイ・チャールズさん(享年73歳) ソウル・ポップス歌手 ソングライター
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