●ブレークの詩が美しい格調高いオリジナル
「聖地エルサレム」というタイトルを聞いて、この曲はイスラエル賛美の歌かとか、ユダヤ人の歌かのような誤解をしている人が多いかもしれない。作詞はイギリス人、ウイリアム・ブレークである。ブレークは1757年、ロンドン郊外に生まれ、1827年に没した。詩人であり、画家であり、印刷技術屋でもあった芸術家である。彼が詩「聖地エルサレム」を書いたのは1808年のことである。イスラエルという国ができる遙か以前のことだ。したがってイスラエルとは直接の関係はない。また、現在はイスラエルの首都である、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3宗教共通の聖地エルサレムのことかとも思えるが、コンセプト的な関係はあっても、この実在の都市を歌ったものでもない。宗教と外国語に疎い日本人には、ユダヤと聞けばフリーメイソンとか、世界支配とか、そういったマイナスイメージが先行する。エルサレムという言葉を聞くだけで拒否反応を起こしてしまう人がいるのも、もっともなことである。ナオミ・シェメルというイスラエルの作曲家の作った「黄金のエルサレム」(1967)は確かにユダヤの国・イスラエルの首都エルサレムの賛歌だが、ブレークのエルサレムはキリスト教でいうところの神の都、理想郷のような意味で使われている。最後のフレーズに「Till
we have built Jerusalem in England's green and pleasant land」とあるが、その句が示すがごとく、理想の都をイングランドの地に建設する、というのがこの詩のいわんとしているところである。
ブレークは天才的な芸術家であったが、世に認められることは死ぬまでほとんどなかった不遇の人生を送った。そんな彼が全知全霊をかけて制作したのが『ミルトン(Milton)』である。この作品は今でこそ、偉大な詩編作品として評価を受けているが、当時は全く人々の共感を得ることなかった。その中の一遍が、この「聖地エルサレム」なのである。
この詩にメロディをつけたのが、イギリス人のヒューバート・パリーである。パリーはエルガー、スタンフォード、ブリテンといった近現代イギリスの作曲家たちの先輩格にあたる作曲家で、ヴォーン=ウイリアムスとホルストは直弟子である。若い頃には有名な保険会社ロイズで働きながら作曲をするという、二足の草鞋を履いていた変わった経歴の持ち主である。1885年、イギリス王立音楽大学の創立とともに教授に迎えられた。「交響曲第2番ケンブリッジ」をはじめとする5曲の交響曲、合唱を取り入れた数々の作品がある。その他に賛美歌として今も歌い継がれている数々の作品があり、英語賛美歌の大家として、その筋では知られた作曲家である。弟子のヴォーン=ウイリアムスが合唱を巧みに取り入れた交響曲的な作品を多く残しているが、その流れを作ったのは師匠であるパリーだろう。そんな彼が目をつけたのが同国人の偉大な詩人ブレークの作品だった。曲は1916年、彼の晩年につけられている。オーケストラと大編成の合唱のための曲であり、イギリスではエルガーの「威風堂々」とともに、非常にポピュラーな曲である。ただし、現在、通常演奏されるのは、後輩筋にあたるエルガーがオーケストレーションに手を加えたものである場合が多い。
このオーケストラの部分を取ってしまって、パイプオルガン(シンセサイザー)の伴奏でコーラスだけにしたものが、シンセサイザー奏者のヴァンゲリスが音楽を担当した映画『炎のランナー(Chariots
of Fire)』(1981)で使われていた。映画とサウンドトラック盤では若干バージョンが違うが、この曲がどういう場所で歌われているかを知るには、映画の絵は非常にわかりやすい。エンドタイトル前の教会のシーンで皆で合唱している姿が出てくるのである。ただこの『炎のランナー』という作品がユダヤ人の差別も描いていただけに、この映画に使われたことで、「聖地エルサレム」がユダヤ人の歌的な誤解をさせる元凶となっている観も否めない。
●あまりに創造的だったELPのエルサレム
この曲を全く新たな形でよみがえらせたのが、エマーソン・レイク&パーマー(ELP)だった。初めてこれを聞いたとき、オリジナルはクラッシック曲とは露とも知らず、このファンタジックな演奏に酔いしれていた。彼らは時にクラッシック曲をモチーフに新たなアレンジで演奏するが、彼ら、特にキース・エマーソンの才能は鬼神的ですらある。クラッシックをもとに、ポップな演奏をするグループが昔から数多く存在する。最近だとボンド、女子十二楽坊、以前だったらクライズラー・カンパニーなどがそうだが、彼らのやっていることはELPがやったことからすれば、所詮、お遊びに過ぎないレベルのものだ。そう断言できるほど、ELPは異次元にある音楽を創造していた。キース・エマーソンもクラッシック教育を受けて、そこからロックに転身しているが、彼の作る音楽はクラッシックのエッセンスをいかにロックやジャズで処理するかということに力点が置かれていた。ボンドなどのように、クラッシックの旋律を、音楽学校で教えるようなありきたりのアレンジで、単におしゃれに弾きこなすのは誰でもできるが、ELPはそれを自分たちの演奏スタイルに昇華してしまう凄さがあった。ELPの「聖地エルサレム」を未だにクラッシック曲が原曲とは知らない人も多いのではないかというほど、原曲の雰囲気を超越した曲にしてしまうのだ。『炎のランナー』を見て、はじめてこれが教会などで歌われる賛美歌的な原曲があるのだと悟った人が多かったのではないだろうか。
キース・エマーソンの趣味は楽譜集めだという。それゆえ、こういった一部の人しか知らない、半分埋もれているような名曲までも巧くピックアップしてくる。ムソルグンスキーの「展覧会の絵」などはあまりにも原曲は有名ではあるが、アルベルト・ヒナステラの「トッカータ」(ピアノ協奏曲第1番・第4楽章)のような曲はかなりマニアックである。「トッカータ」は作品自体が1961年のもので、まだまだ知名度のない現代音楽の範疇に属する曲であるにもかかわらず、彼は「聖地エルサレム」が収録されていたアルバム『恐怖の頭脳改革(Brain
Salad Surgery)』で、取り上げているのである。エマーソンはナイス時代からクラッシックを原曲とした曲作りのアプローチを行ってきているが、ムーグシンセサイザーと出会い、ELPを結成してからは、水を得たように活動し、完成度の高い作品を作っていった。この「聖地エルサレム」は彼らのクラッシックを原曲とする作品の最高峰といってもいいだろう。原曲以上にある意味崇高に、そしてドラマチックに展開していく美しさは驚きの連続だ。グレック・レイクのきらめくようなボーカルと、エマーソンのシンセサイザーが絶妙に絡み合う終盤クライマックスの美しさは、すでに30年が経過している現代でも古さのみじんも感じさせない。
『恐怖の頭脳改革』は、間違いなく彼らの最高傑作である。前述の「トッカータ」をはじめ、「悪の教典#9」など凄まじいばかりの音の渦に感心するばかりである。よく『展覧会の絵』をELPの推薦アルバムとして出す評論家が多いが、彼らの真骨頂を聞いて取れるのは、これか、あるいは『トリロジー』(1972)、『タルカス』(1971)といった作品である。このアルバム、メンバー以外の製作者も注目である。「聖地エルサレム」以外の詩はキング・クリムゾンの初期傑作作品やPFMをプロデュースでしたピート・シンフィールドが担当している。
●ギーガーの処女作/アルバムジャケット『恐怖の頭脳改革』
そしてこのアルバムのジャケットのデザインは、あのH・R・ギーガーである。ギーガーといえば「エイリアン」のキャラクターデザインで一躍世界的な大アーティストとなった、あの人である。『恐怖の頭脳改革』のアルバムジャケットのデザインは、ギーガーの初仕事といってもいい作品である。これで彼は世に知られるようになった。当時は現在のCDジャケットのような小さなものではなく、30cmLPレコードが入らなければならなかった一種の箱であったから、アルバムジャケットのデザインは大きく売り上げにも反映する非常に重要なものであった。それのみならず、シンガー・演奏者らが作る収録曲との一体感で、あるコンセプトを表現できる芸術作品ともなりえる、現在のCDジャケットよりも芸術性の高いものでもあった。この『恐怖の頭脳改革』は写真を見ての通り、図柄は骸骨である。中央部が丸くなっていて、唇の部分がちょっと明るく見えているが、このジャケット、その部分が丸く切り取られており、唇の部分は下にある別の絵が見えているのである。さらにその骸骨絵が真ん中から扉状に切られて、半分にパカッと割れて、下の絵が見えるようになっている。中にはメデューサのような冷たい氷の笑みを浮かべる美女の絵がある。こういう非常にユニークな作りになっているのだ。
買った当時、このジャケットはすごいインパクトだった。ギーガーにとっては『Brain Salad Surgery』という原題からくるイメージをどう表現するかが、彼の仕事だったわけだが、その訳のわからないイメージを見事に具現化させていた。その後、次々と生み出されるギーガーの機械と生身の人間が混じり合うメタリックな世界が、すでにこの時には完成していることを見て取れる。現代アートの巨匠の記念すべき処女作なのだ。このアルバムは『ローリング・ストーン』誌の「史上最高のアルバム・ジャケット100」にも選出されている。それにしても、『Brain
Salad Surgery』という意味不明の原題を『恐怖の頭脳改革』という邦訳をした日本のポリドールの人はたいしたものである。
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