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最近、日本では沖縄出身のオレンジレンジというグループが「ロコローション」という曲で、いろいろ物議を醸したようだ。「ロコローション」はシングル発売時には作詞作曲がオレンジレンジだったが、アルバム収録時にクレジットがオレンジレンジ/キャロル・キング/ジェリー・ゴフィンに変更されたらしい。この曲にキャロル・キングとジェリー・ゴフィン作の「ロコモーション」の版権を持っているレコード会社からクレームが付いて、そうなったようだが、今回ここで紹介しているのがそのゴフィン&キングの「ロコモーション」である。「ロコローション」がどこまで「ロコモーション」からメロディなどを借用しているのかは、当事者双方からのインフォメーションがないので迂闊なことはいえないが、CDなどのクレジット上ではそういうふうになって決着を見たようだ。オレンジレンジのファン層となっている若い世代には「ロコモーション」といっても何の曲か知らない人も多いかもしれない。しかし、この曲、世界的な大ヒット曲なのである。同じ曲が違うアーティストによって全米ナンバー1を獲得したことが、これまで9曲あるが、これもその1曲である。ポピュラー音楽の長い歴史の中でたったの9曲しかない、その1曲なのである。2回も全米ナンバー1となった、それだけ大ヒットした曲で、世界中で愛唱されてきた名曲といっていい。アメリカなら30代後半以上の人なら知らない人はいないだろう。日本でも伊東ゆかりが1963年にこの曲をカバーしてヒットさせているから、そのころから70年代にかけて音楽に夢中だった人には印象深い曲の一つであるはずだ。
●ゴフィン&キングのオリジナル
リトル・エヴァ盤
伊東ゆかりがカバーした「ロコモーション」のオリジナルは1962年、リトル・エヴァによって歌われた。リトル・エヴァといえば、2003年4月10日に59歳の若さで亡くなっているが、そのときアメリカの新聞記事などでは、「おそらく世界でもっとも著名になったベビーシッター」という表現が彼女に敬意を表して記されていた。そのベビーシッターの雇い主が、当時夫婦だったキャロル・キングとジェリー・ゴフィンである。
キャロル・キングはいわずと知れた20世紀を代表するシンガーソングライターの一人である。このキャロル・キングという人、実に人との出会いに恵まれている。その出会いが彼女をシンガーソングライターにした、といっても過言ではない。高校時代には、ニール・セダカが上級生で、彼に憧れ、プロの音楽活動を在学中からしていた彼に作曲の技法を学んでいる。セダカは小さいころから、音楽の英才教育を受けてきたので、作曲のイロハはすでに10代で身につけていたのである。セダカの1959年の大ヒット曲「おゝ!キャロル(Oh,
Carol)」のキャロルは有名な話だが、キャロル・キングのことである。クイーンズ・カレッジに進学した彼女はそこでジェリー・ゴフィンと知り合った。在学中にゴフィンが作詞を担当し、彼女が作曲するソングライターチームが結成され、二人はそのまま1958年に結婚している。このころは、もちろんまだアマチュアだったのだが、このカレッジには、あのポール・サイモンも在籍していた。彼はすでに半プロフェッショナルの音楽活動を開始しており、彼からデモテープの作り方などを教って、二人のチームもレコード会社に売り込みをはじめた。その結果、ポール・アンカが所属していたABCパラマウントに認められ、58年にキャロルはシングル「The
Right Girl」でデビューし、プロとしての活動をはじめる。しかし、なかなかヒットを飛ばすことはできなかった。60年にはセダカの「おゝ!キャロル」へのアンサー・ソングとして、「オー、ニール(Oh,
Neil)」を発表し、話題作りにも務めたたが、それでも泣かず飛ばずの状態が続いた。
プライベートでは60年に娘を出産。そこでシンガーの方は一時リタイアし、作曲の方に専念することになった。このころ、ドン・カーシュナーが音楽事務所アルドン・ミュージックを設立し、ニール・セダカら、若きソングライターを配下に置いていた。セダカの仲介で、彼女とゴフィンはカーシュナーとライター契約を結び、週50ドルで事務所に缶詰めにされ、そこで作曲活動に没頭することになる。デモテープを吹き込んではカーシュナーが売りに出る、そういう生活が続いたが、ここで転機が訪れる。60年終わり頃、黒人女性グループ・シュレルスに提供した「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロウ(Will
You (Still) Love Me Tommorrow)」が大ヒットしたのだ。61年早々、この曲で全米ナンバー1を獲得したシュレルスは、その後、ロネッツやシュープリームスなど、ガール・グループと呼ばれたブームの火付け役となった。これで一躍注目を集めることになったゴフィン&キングのチームに作曲依頼が殺到することになる。
このチームが曲を提供したグループの一つにクッキーズという女性グループがある。クッキーズは50年代初期くらいから活動していたグループで、かつてマージー・ヘンドリックスが所属していたグループだ。マージーはクッキーズを脱退してからレイ・チャールズのバックコーラスグループに参加し、彼の愛人ともなっている。映画『レイ』(2004年)を見た人ならご存じだろうが、レジーナ・キングが演じていた女性で、レイとともにジャンキーとなって、薬で中毒死してしまった人だ。ところでクッキーズだが、50年代後半はヒットに恵まれず、RCAに移籍、ニール・セダカと仕事するようになる。さらにセダカから紹介されてキャロル・キングと知り合った。それからゴフィン&キングの秘蔵っ子として彼女たちは活動することになる。ちょうどそのころ、リトル・エヴァは親戚がこのクッキーズのメンバーの知り合いだったことから、しばしばメンバーの代役として、クッキーズで活動するようになっていた。そんなことからリトル・エヴァはゴフィン&キング夫妻と知り合い、夫妻の子供のベビーシッターをしたりもするこになった。このクッキーズの最大のヒットがゴフィン&キングが書いた「チェインズ(Chains)」。実はこの歌も正式なメンバーではないリトル・エヴァがリードをとっていたらしい。この「チェインズ」は後にビートルズがカバーして、彼ら最初の記念すべきアルバム『Please
Please Me』(1963年)に収録されているので聞いたことがある人も多いだろう。クッキーズはどちらかというと、バックコーラスの仕事が多かったらしい。あのニール・セダカの大ヒット曲「悲しき慕情(Breaking
Up Is Hard To Do)」(1962年)の「ダンドゥビドゥダンダン」という有名なコーラスも彼女たちのものである。
件の曲「ロコモーション」はゴフィン&キングのチームが最初、「マッシュ・ポテト(Mashed Potato Time)」(1962年)を大ヒットさせたディー・ディー・シャープのために書いたものだった。しかし、彼女は諸事情でこの曲が歌えなくなっていた。このころゴフィン&キングは「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロウ」、ボビー・ビーの「サヨナラ・ベイビー(Take
Good Care Of My Baby)」(1961年)と立て続けにナンバー1ヒットを生み出して、すでに時の人となっていた。その勢いに乗じて、マネージャーのカーシュナーがディメンション・レコードを自ら設立していた。宙に浮いた「ロコモーション」はディー・ディー・シャープの替わりの歌い手を探すことになる。本当かどうかは定かではないが、逸話によれば、ベビーシッターをしていたリトル・エヴァがこのペンディングされていた曲を見つけ、鼻歌のようにこの曲を歌っていたところを見初められ、彼女にこの曲が与えられたことになっている。これで彼女は名実ともにソロ歌手としてデビューを果たした。曲はディメンション・レコードから出され、瞬く間に大ヒット。全米ナンバー1を獲得した。それゆえ、ベビーシッターからナンバー1シンガーへというアメリカン・ドリームを実現させた歌手として、リトル・エヴァは記憶されることになった。ちなみにリトル・エヴァの「ロコモーション」のバックコーラスはクッキーズである。
「ロコモーション」とは、この場合、ダンスの名前を意味している。もともとlocomotionは「交通、移動、特に機関車」のことを指す言葉だが、ここでは機関車のポッポーという汽笛や機動車両の車輪の廻る様からくるイメージで踊ったりダンス、機関車的な重厚さをウリにした音楽のこととなる。60年代初頭を彩ったのはダンス・ブームである。その火付け役だったのが、ツイストと呼ばれた下半身をくねらせるビートに乗ったダンスだった。チャビー・チェッカーの「ザ・ツイスト(The
Twist)」(1960年)、ジョイ・ディー&スターライターズの「ペパーミント・ツイスト(Peppermint Twist -
Part1)」(1961年)、アイズレー・ブラザースの「ツイスト・アンド・シャウト(Twist And Shout)」(1962年)などが大ヒットし、ちまたはツイストブームとなった。これに続けとばかりに新しいスタイルが模索されるが、その一つがツイストの亜流バージョン、前述したディー・ディー・シャープが広めた「マッシュ・ポテト」だった。そしてゴフィン&キングが仕掛けたのが、この「ロコモーション」である。歌詞の冒頭に「Everybody's
doin' a brand new dance now」とあるが、「a brand new dance」、まさにその通りなのだ。「You've
got to swing your hips now」「Jump up. Jump back」「A chuga-chuga motion
like a railroad train」とか歌詞にあるが、蒸気機関車風の振りで歌っていたらしい。 リトル・エヴァのオリジナル盤の爆発的なヒットで、ロコモーションは大ブームとなった。
●魔術師トッド・ラングレンがプロデュースしたグランド・ファンク盤
リトル・エヴァの「ロコモーション」は売れに売れた。そのため、この曲をカバーしたシンガーも多かった。カバーバージョンの大家で、アレンジが斬新だったアイク&ティナ・ターナーは「プラウド・メアリー(Proud
Mary)」(1971年)で「ロコモーション」風のエクスプレス機関車ダンスを踊っていたが、その彼らもこの曲をカバーしている。トレメローズ、ベンチャーズ、シフォンズ、サンディー・デニーなど、枚挙したら暇がないほど、たくさんのシンガーがこの曲を取り上げた。その中でも絶対忘れてはいけないのが、グランド・ファンクである。
グランド・ファンクは、「グランド・ファンク」「グランド・ファンク・レイルロード」、二つの名前をアルバムや時期によって使い分けてきたバンドだ。「ロコモーション」が収録された『輝くグランド・ファンク(Shinin'
On)』(1974年)のリリース時には、グランド・ファンクを使っていたのでこう書いたが、名前が違うだけで基本的には全く同じバンドである(以後、GFR)。このGFRはご存じのようにアメリカのハード・ロックバンドの代表格といっていいバンドで、日本でも非常に人気があった。1971年の初来日、雷雨の中、後楽園球場で行われたコンサートは伝説となった。新聞沙汰にもなったが、あまりにも爆発的な音で、早稲田でも曲が聴けたほどだった。かつてギネスブックに、世界最大音量を出すバンドとして認定されていたくらいなので、こういう騒ぎも引き起こされてしまったわけだが、その怒濤の迫力は他を圧倒する存在だった。
GFRはマーク・ファーナー(g、vo)、ドン・ブリューワー(ds、vo)、メル・サッチャー(b)の3人を母胎にしたバンドで、ここに途中から追加メンバーのクレイグ・フロスト(key)が加わって4人編成となった。3人編成時代はプロデューサーとしてテリー・ナイトが仕切っていた。テリー・ナイト自身ミュージシャンであり、GFRの母胎となったザ・パック(The
Pack)のリーダーだった。彼がプロデューサーとして裏方に専念することで、ザ・パックの残りのメンバーでGFRが結成された。テリー・ナイト時代のGFRは前述したような、大音量によるストレートな全く飾り気ないハード・ロックがウリだった。ただ、テリーとバンドは金銭面でトラブルとなり、『戦争をやめよう(
E Pluribus Funk)』(1971年)の発表後、両者の間で訴訟沙汰となり、バンドは敗訴し、テリーとの関係を解消させた。テリーから離れたGFRはクレイグを加え、4人編成となり、セルフプロデュースで1972年『不死鳥(Phenix)』を発表した。ここからシングルカットした「ロックンロール・ソウル(Rock
'N Roll Soul)」はスマッシュヒットを記録したが、バンドとしての人気は下降線を下りはじめてしまうことになる。それを打開するため、外からプロデューサーを呼ぶことになったのだが、その人こそがあのトッド・ラングレンである。
トッド・ラングレンは天才とか、鬼才とか、魔術師とか、いろいろ称される人だが、マルチ・プレーヤーのはしりとなった人物であり、パソコンを黎明期から音楽のみならずヴィジュアルでも使用していたという、非常に多彩な面を持っている。1967年、ナッズのリーダーとしてデビューし、70年からソロに転向してからは、ソロアルバムはほとんど自宅スタジオで自ら演奏、ミキシング、オーバーダブ作業を行って、驚異的なペースで驚くようなアイディアを盛り込んだアルバムを製作していた。70年代初頭はその合間に他人のプロデュース業も行い、74年からは自身がリーダーのユートピアを結成するという活躍ぶりだった。GFRがテリー・ナイトと係争中だった72年には自身の『ハロー・イッツ・ミー(Something/Anything?)』(日本版『ハロー・イッツ・ミー』は2枚組の『Something/Anything?』アルバムを1枚に縮小したもの)を発表して、そこからシングルカットされた「I
Saw The Light」を大ヒットさせている。この年にはバッド・フィンガーの『Straight Up』、ニューヨーク・ドールズのデビューアルバムをプロデュースして、プロデューサーとしても大いに名を売り始めていた。建て直しを図るGFRがそんなトッドに注目し、彼にプロデュースを依頼した。このころのGFRは商業面での成功が一つの目標となっていた。新感覚を音楽界に吹き込んでいるトッドの力を借り、新たなGFRを見せることで脱皮を図ろうとしたのだ。その結果完成されたのが、73年の『アメリカン・バンド(We
Are An American Band)』である。このアルバムでは、今までのストレートな感じの音に重圧さがプラスされ、若干のポップセンスが織り込まれて、バンドとして全体的に統一的な音にこだわるような作りとなっていた。個々の楽器の音はヘビーになったが、特にキーボードの音に厚みが出たことが大きかった。ここで作られた音はその後のGFRサウンドの基調となっていった。トッドの手腕で新たなGFRの魅力が引き出されたわけだが、ここからシングルカットされた「アメリカン・バンド(We
Are An American Band)」が、彼ら自身としては初めての全米ナンバー1を獲得してしまうことになる。数々の伝説を作った3人編成時代でも成しえなかった快挙で、これでGFRは名実ともにアメリカン・ハードロックの王者となった。また、GFRを復活させたトッドも名プロデューサーの地位を獲得した。ただ、GFRは新たなファンを多数獲得したものの、それまでのスタイルに固執するファンの一部からは非難を受けるということも味わっている。
『アメリカン・バンド』でとりあえず当面の目標としていたセールスで予想以上の成功を収め、続くアルバムもトッドの手によりプロデュースされることになった。それが『輝くグランド・ファンク』である。このころマーク・ファーナーの農場の近くにGFRのセルフスタジオ(The
Swamp)が完成し、このアルバムはここで製作されていた。早い段階でアルバムのかなりの部分ができあがっていたが、ナンバー1ヒットとなった「アメリカン・バンド」に続く、勢いのある曲がなく、製作が停滞していた。マークは食事を隣の自宅に帰って食べるというのが習慣だったが、ある日、昼食を食べ終えてスタジオに戻ってくると、彼は「ロコモーション」を口ずさみながら入ってきた。メンバーがそれに合わせてコーラスを付けて、ふざけて騒いでいたが、それを見ていたプロデューサーのトッドがこれはいけると閃いたらしい。トッドはビーチ・ボーイズの「バーバラ・アン(Barbara
Ann)」をイメージし、みんなで騒いで楽しめる曲として、この「ロコモーション」は最高だと直感した。メンバーは正直、ロックンロール時代の懐メロに抵抗があったが、トッドがこれを説き伏せてこの曲の録音に入った。
リトル・エヴァが歌っていたのはロックンロール時代、それからたったの12年でロックンロールからロックに音楽のメインストリームは形を変え、急速にロックが進化していた時代だけに、74年のこのときですら、すでにオリジナルの「ロコモーション」はかなり古くさい歌となっていた。「ご機嫌な新しいダンス・ロコモーションだぜ」というダサいフレーズのこの曲を今さら歌えといわれても、それは納得のいくものではなかっただろう。しかし、そこがトッド・ラングレンの鋭いところだった。彼はハンドクラップにのせたアカペラの導入部から入って、ヘビーなロックにこの曲を完全消化させ、古くささを一掃した。メンバーのちょっとテンション上がり気味のバックコーラスにのって、マークの元気炸裂ボーカルが否応なしにこの曲を盛り上げた。途中のギターソロのファズの歪み具合、チャンネルの振り分け、狂い具合は、トッドのアルバムでよく聞かれる彼の得意とする音作りである。このGFR盤は、製作されてからすでに30年が経過しているが、今聞いても古くさくはない。オリジナルのリトル・エヴァ盤は正直古くさすぎて、今では最後まで聞くのが辛い。GFR盤と比べるのに74年当時、リトル・エヴァ盤もよく聞いたが、今はその作業も厳しい。トッドの感覚というのは本当に鋭かったというより他にない。プロデューサーによって、曲がどれほど変わるのか、この曲は見事に示した典型的な例となった。トッドの仕事の中でも非常に印象深いものである。
GFRはこの曲の名義はグランド・ファンクだったが、グランド・ファンク・レイルロードとしても知られるバンドであることは書いたとおりである。もともとレイルロードと、鉄道に関係した名前を持っているこのバンドが「ロコモーション」を取り上げたのは偶然とはいえ、おもしろい。コンサートでは蒸気機関車が爆走して、衝突する映像を見せながら、この曲を歌い、ツアーを盛り上げた。誰もが知っていたこの曲を違うアレンジで見せたGFR盤は評判となり、ロックンロール時代のリスナーをも巻き込んで大ヒットした。その結果、「アメリカン・バンド」に続いてこれも全米ナンバー1を獲得した。
作詞者のジェリー・ゴフィンも、このGFR盤を非常に気に入ったらしく、この時代になっても若い子にこの曲が気に入ってもらえて嬉しいとのコメントを寄せている。作曲者のキャロル・キングは67年にジェリー・ゴフィンと離婚してから、二人のソングチームを解消し、作詞も自ら手がけ71年に『つづれおり(Tapestry)』を発表して一躍大アーティストとなっていた。このアルバムは記録的な大セールスとなり、なんと302週、つまり6年間アルバムはチャートインをするという快挙を成し遂げた。当時ですでに総計2200万枚という信じられない数が売れていた。もちろんこのGFR盤「ロコモーション」が出たときにもまだチャートインしていた。『つづれおり』には「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロウ」などのセルフ・カバーバージョンが収録されていたが、この「ロコモーション」のセルフカバーは含まれていなかった。しかし、GFR盤「ロコモーション」の作曲者が彼女であることはすでに周知の事実であったから、GFR盤の成功で彼女にもスポットが当たり、『つづれおり』の驚異的なセールスに一役買う結果となったのだ。キャロル自身の「ロコモーション」のセルフ・カバーバージョンは1980年の『パールズ(Pearls
- Songs Of Goffin And King)』にはじめて収録されている。
GFRのあと、「ロコモーション」はカイリー・ミノーグによって1988年、三度、ヒットチャートに名前を連ねている。 |
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●ロコモーション歌詞 |
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Everybody's doin' a brand new dance now.
Come on baby, do the Loco-Motion.
I know you'll get to like it if you give it a chance now.
Come on baby, do the Loco-Motion.
My little baby sister can do it with ease,
It's easier than learnin' your ABCs.
So, come on, come on, and do The Loco-Motion with me.You've
got to swing your hips now,
Come on,
Come on.
Jump up.
Jump back,
Oh, well, I think you've got the knack.
Oooo ...Woah ... woah.
Now that you can do it, well, let's make a chain now.
Come on baby, do the Loco-Motion.
A chuga-chuga motion like a railroad train, now.
Come on baby, do the Loco-Motion.
Do it nice and easy now, and don't lose control,
A little bit of rhythm and a lot of soul,
So, come on, come on, and do The Loco-Motion with me.Woah ...
woah.
Move around the floor in a loco-motion.
Come on baby, do the Loco-Motion.
Do it holdin' hands if'n you get the notion.
Come on baby, do the Loco-Motion.
There's never been a dance that's so easy to do,
It even makes you happy when you're feelin' blue.
So, come on, come on, and do The Loco-Motion with me.
Come on baby, do the Loco-Motion.
So, come on, come on, and do The Loco-Motion with me.
Come on baby, do the Loco-Motion.
So, come on, come on, and do The Loco-Motion with me.Come on
baby, do the Loco-Motion.
Come on baby, do the Loco-Motion.
Come on baby, do the Loco-Motion. |
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(更新:2005年3月13日) |
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Little
Eva盤 |
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GFR:
Shinin' On |
このアルバムはLP発売当時3D印刷がなされており、中央にある緑と赤のセロハンが張られた眼鏡を切り出して見ると、画が飛び出すように見えるという仕掛けが付けられていた。70年代のLPレコード全盛時代のおもしろジャケットの一つである。当時、もったいなくて眼鏡を切れなかった。
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Kylie
Minogue
日本盤シングル |
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Carole
King : Pearls
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