アルプスの山々の俯瞰の画面から、森森地帯を抜け、ザルツブルク郊外の風景、そして丘の上にいるジュリー・アンドリュースが次第にクローズアップされ、カメラが彼女へと寄っていく『サウンド・オブ・ミュージック』
(1965年) の冒頭の場面、あれは映画史上に残る名シーンの一つである。アンドリュースが大写しとなって、
「The hills are alive with the sound of music」
彼女独特の広域を生かした伸びやかな歌でこの映画は始まる。この映画に触れるとき、見たこともないのに「『サウンド・オブ・ミュージック』なんて子供の映画だろう」と馬鹿にしていた友人のことを思い出す。大学時代、夕方まで授業がなくて、することがなかった友人を近くの名画座でかかっていたこの映画に無理矢理連れて行ったことがあった。見終わるやいなや「最初は何だと思ったけど、思わず泣いちゃったよ。奥が深いねぇ」と、彼は興奮気味に前言を翻していた。この映画、名作中の名作である。老若男女、全ての層にアピールできる普遍的なテーマを持ち、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン世の不滅のコンビが生み出した歴史的な名歌が散りばめられている。このミュージカルはアメリカ文化の一つの頂点を極めた作品といっていい。そして、このミュージカルを舞台から映画、それも素晴らしい作品に作り変えたロバート・ワイズは、これまた忘れることはできない大映画人である。
ロバート・ワイズがなくなった。物故者のニュースに接するときにはいつも寂しい気持ちにさせられるものだが、ワイズ死去は残念というしかない。80年代以降はほとんど映画を撮っていなかったし、高齢だったからもう亡くなってしまっていたとしても、不思議ではなかったのだが、改めてこのニュースに接すれば、非常に悲しいものがある。
ワイズといえば、『サウンド・オブ・ミュージック』、そして『ウエスト・サイド物語』 (1961年) というアメリカ文化史上に燦然と輝く傑作中の傑作ミュージカル両方を映画化した監督である。この二つの作品がいかにたいへんなものなのかは、別ページ(1&2)で見たことがあるのでここで触れないが、この両作品の監督というだけで、歴史に名前を留めるに十分だろう。それだけ、もとになるミュージカルが大傑作であったわけで、映画化に際してはかなりのプレッシャーがあったはずだ。莫大な額の映画化権利を他社と競り合って落とした上、作品の良さはすでにミュージカルの大成功で世間一般に熟知済み。映画はヒットして当たり前、失敗は許されないという状況である。こういう状況で臨むわけだから、これは想像を絶するような重圧がのし掛かってくる。いくらベースが良くても、映像化、脚本、キャスティングなど、映画化の作業がうまくいかなければ、散々な酷評を浴びせられ、興行は失敗し、映画会社をも存亡の危機まで追い込むことにもなる。そのプレッシャーをものともせず、素晴らしい作品を作り出したわけだから、これは称賛に値するだろう。ワイズは「舞台を映画化するのは私の方法こそが最良の作」と自らが語っていたそうだ。少々自信過剰とも思える発言ではあるが、確かにそういう部分はあっただろう。この二作品が世に出てすでに四〇年が経過しているが、未だに名作として見続けられているという事実は、驚嘆に値する。
■『ウエスト・サイド物語』の名シーン「クール」
『サウンド・オブ・ミュージック』の冒頭と同じく、『ウエスト・サイド物語』の冒頭も同じようにニューヨークの俯瞰の絵から始まり、バスケットコートへとクローズアップインしていく手法がとられている。この冒頭場面に止まらず、ワイズのこの2作品はカメラワーク、シーン割りが実に巧みで、その効果でワクワクさせられる場面が多い。特に『ウエスト・サイド物語』の「クール」はそういうおもしろさが存分に出たシーンである。地下駐車場で唄い踊られるこの曲は、個人的にはこの映画のベストシーンとも思っている。レオナード・バーンスタインの見事な楽曲、ジェローム・ロビンスの振付の秀逸さはいうまでもないが、それを生かすことはもちろん、新たな魅力まで付く加えてしまったワイズをはじめとする映画クルーたちの仕事は圧巻である。映画化されたミュージカルのシーンの中で、これほどの緊迫感を表現できたシーンは他にはないだろう。
ミュージカルというと、歌と踊りがあるために、表現がより過度になる傾向がある。仮に同じ設定で音楽と踊りのないシーンを作ったとし、ミュージカルによる同じ設定のシーンを作って較べれば、その差は歴然となるだろう。たとえばラブシーンという設定なら、ミュージカルでは唄でお互いの名を呼び合ったり、キスするまで延々と抱き合いながら踊り続けるかもしれない。甘いシーンでは甘さが二倍加、三倍加されてしまうのだ。こういうところが気持ち悪くて、かつてのタモリのようにミュージカルを受け付けない人が多いと思われるが、この「クール」のシーンはそういうミュージカルが陥りがちな弱点を全て排除して作られている。そういう甘さと対局にある緊迫感を、巧みな演出で盛り上げ見事に映像化した。
「クール」は抗争でリーダーが殺され、感情が高まってエキサイトしている団員を、新リーダーがクールダウンさせて、落ち着かせるというのが、基本的な流れである。その緊迫感を出すために選ばれているロケ場所が実に素晴らしい。映画化で選ばれた地下駐車場は、無機質な閉鎖空間であり、この雰囲気は、アンダーグラウンドの存在である登場人物たちを象徴するものである。限りなく薄暗く、そしてジメっとしている。密議にはもってこいの場所だ。しかも、エキサイトした団員がたびたび「パウ!」と銃を撃つ仕草をするので、その「パウ!」という叫びが反響するような地下はこのシーンにとってベストのロケーションだろう。こういうロケシーンは舞台では表現しきれない部分であり、映画化によって作り込まれる部分である。
この『ウエスト・サイド物語』はワイズと振付のロビンスの二人が共同監督となっている。振付と映像クリエーターが共同して、映画を撮っているのだ。このコラボレーションが、最高の形で表れたのが、この「クール」である。踊りは群舞、ソロ、ペアなど、いくつものパートが組み合わされて構成されているが、それを完璧とも思えるほどのシーン割りで効果的に見せる。低い位置からとらえるカメラワークが冴えわたり、ダイナミックな動きが余すところなく納められている。映像監督と振付が論議に論議を重ねた結果でなければ、この映像は撮りえなかっただろう。専門家同士が火花を散らしてこそ、成しえる技なのだ。映像監督だけなら、ダンスを振り分けた巧みなシーン割りはできなかっただろうし、振付監督だけならカメラアングルなど映像として満足のいくものは撮れないだろう。40年前作られた映像であるから、CGやハイテク機器もない。あの時代にでき得る限りの努力の結晶が、この「クール」だと個人的には思っている。踊りにおいて人間の動きという基本中の基本をこれほどうまくとらえた映像は、ミュージカル映画史上、他に見あたらない。
→「トゥナイト」他については別項参照
■ワイズの戦争物
ワイズといえばどうしても、『サウンド・オブ・ミュージック』『ウエスト・サイド物語』がすぐに出てきてしまうが、『砲艦サンパブロ』も名作中の名作だった。共産主義的風潮が世界で吹き荒れ、民族自立が叫ばれていた1966年という年に製作されたこの映画は、ある意味、ワイズの政治的なメッセージが織り込まれていたといっても過言ではない。1926年、中国の民族主義が盛り上がる中で、アメリカが権益と自国民を守るために揚子江に派遣した米軍艦サンパブロ号を舞台に繰り広げられるのが、この映画だ。設定は1920年代ながらも、当時ベトナム戦争への本格的介入を始めていたアメリカとシンクロする部分が多分にあった。そういう政治的なものを背負っているため、裏に込められたメッセージには若干胡散臭さも感じなくはないのだが、そんなものをも吹き飛ばしてしまうほど、良くできた映画だった。
ワイズは出演者たちの個性を上手く引き出し、実に良くまとめていた。彼らが繰り広げる人間ドラマは3時間の長丁場ながらも見ているものを決して飽きさせることはなかった。主演のスティーブ・マックイーンは原作に接しており、映画化に際して何としても主役のホフマン役を射止めたいと考えていたそうだ。彼は自らのプロダクションを出資者の一企業としてまで、この映画に参加した。彼らしいアクションもあるが、彼は自分が惚れ込んだ機関兵を熱く演じ、演技派としての才能をこの作品で開花させた。彼と友情で結ばれるマコ岩松、同僚のリチャード・アッテンボロー、マドンナの伝道学校の教師役のキャンディス・バーゲンら、名優たちがワイズのもとで本当にいい演技を見せ、見どころが盛りだくさんの映画である。
台湾の基隆港でロケが行われているが、ものすごい数のエキストラと物量で見せる画面は圧巻。かつてワイズは『トロイのヘレン』(1955年)でも物量作戦を展開していたが、『ウエスト・サイド物語』と『サウンド・オブ・ミュージック』で大成功を収めて臨んだ映画だけに、その規模は比べものにならない。まだまだ超一流監督との評価が定まっていなかったころ制作された『トロイのヘレン』は、やはりスペクタクルものの『ベン・ハー』(1959年)などに較べれば甘さがあったが、『砲艦サンパブロ』は大監督になった彼の実力を見せつけるだけの迫力がある。
『砲艦サンパブロ』と同じく、ワイズが戦争を取り扱った作品としては『深く静かに潜航せよ』(1958年)がある。これはクラーク・ゲーブルとバート・ランカスターという二大スターを配して製作された。この映画は、潜水艦を取り扱った映画の名作である。潜水艦映画は近年、日本を含めて各国で製作され、一種のブームとなった。しかし、潜水艦主題の映画は何も最近になって取り上げられたテーマではない。すでに大戦中の1940年代から戦意昂揚プロバガンダ映画として何本も製作されていた。ただ、戦後になると潜水艦映画はあまり興行はよろしくなく、50年代は下火になっていく。しかし、そん中に出てきた傑作が、『深く静かに潜航せよ』の前年に発表されたディック・パウエル監督・製作による『眼下の敵』(1957年)だった。これはロバート・ミッチャムとクルト・ユルゲンスをアメリカの駆逐艦の艦長とドイツのUボートの艦長に配して、両者の対決を通して生まれる友情とヒューマニティーを描いた傑作である。ワイズの『深く静かに潜航せよ』は豊後水道での日本軍の駆逐艦・秋風とアメリカの潜水艦ナーカの対決を描いたもので、『眼下の敵』に触発されたといっていい映画だった。ただし、ワイズはそのまま映画の方向性をパクるのではなく、潜水艦内部で起きる人間劇として、この映画を処置した。潜水艦という、密室内部の葛藤、対立、友情を描いたもので、潜水艦を舞台にする密室劇に料理している。名匠ルネ・クレマンが1946年製作した『海の牙』の世界を発展させたような映画となった。この『深く静かに潜航せよ』のプロットは、1995年、ジーン・ハックマンとデンゼル・ワシントンで撮られた名作『クリムゾン・タイド』に引き継がれていくことになる。いわばその原点となる映画を製作したのはワイズだったのである。
■SF映画におけるワイズの功績
ミュージカル、そして『深く静かに潜航せよ』のような戦争映画、『トロイのヘレン』のような時代スペクタクルものと様々なジャンルの映画を撮ったワイズだが、SFの世界にも忘れられない足跡を残している。意外かもしれないが、ワイズは『地球の静止する日』(1951年)など、比較的初期からSF作品を撮っている。SFが全盛を迎える60年代以前からすでにSF映画を撮っていたのだ。そういうワイズだから、『スター・トレック』(参照1&2)の映画化に際して、彼にお声がかかるのも頷ける。当時は、『スター・ウォーズ』が爆発的なヒットを飛ばし大ブームを引き起こしていた。テレビドラマで『スター・トレック』を製作していたパラマウントとしては、この事態は焦りを感じるものだっただろう。『スター・ウォーズ』以前の決定的なSF作品である『スター・トレック』を映画化して、『スター・ウォーズ』に対抗させるというのは映画会社としては当然の方向性だった。ただ、『スター・ウォーズ』と同じでは、それにいくら影響を与えた作品でも、先輩格のSF作品だったとしても、映画界の流れとしては二番煎じになってしまう。だから方向性を変える必要があった。『スター・トレック』は幸いにも、『スター・ウォーズ』的なドンパチが中心ではなく、ストーリーに重点が置かれた人間劇が中心となっていた作品だから、その方向で差別化を図ることになる。
パラマウントにとって失敗できないこの映画に大監督であるワイズを持ってきたのは、まさにそういった彼らが置かれたプレッシャーを物語るものだろう。1979年
映画版『スター・トレックThe Motion Picture』は製作された。テレビ版のオリジナルのキャストをそのまま踏襲し、『スター・トレック』が持っていた高尚な部分を強調してこの映画は製作されている。この映画には謎の物体「ヴィジャー」が登場する。思考能力を持ち、全てを破壊する驚異的な能力を持つヴィジャーは自分を創作したクリエータを探しに地球へと向かっているのだが、実はこの物体の実体は300年前にNASAが打ち上げたヴォエジャー6号だったことが判明する。人工衛星が異常進化を遂げ、クリエータから感情を求める物体となるというような、観念的な部分がものすごく前面に押し出された作品となっている。しかし、この映画、正直、実にわかりにくい。何か見ていても釈然としない部分があるのである。さすがのワイズも『スター・トレック』の作品が持つオリジナリティを表現しようとするあまり、やりすぎた、という感じの映画なのだ。トレッキーの中でもあまり評判はよろしくない。とはいうものの、この映画は『スター・トレック』らしいといったら本当にらしい映画だ。『スター・トレック』は未来という何でも有りにする世界を舞台としているため、話が荒唐無稽的だったり、唐突に見えることがあるが、テーマは人間の感情であったり、観念であったり、精神であったりする。人間を突き詰めていくのが、この作品のらしさでもある。宇宙、未来という極端な設定を可能にする舞台装置が、それらをよりはっきりと明確に導き出してくれるものとなる。『The
Motion Picture』はそういう「らしさ」を前面に押し出している。わかりにくさという弱点はあるものの、それなりの作品なのだ。
■キャスティングの妙
ワイズの作品はディティールを掘り下げていったらキリがないほど、語りたくなる部分は尽きない。作品的にも多くのものを残しているが、この人は非常に俳優からの信頼が厚かったことでもよく知られている。その中でも『サウンド・オブ・ミュージック』と『スター!』の両方に主演したジュリー・アンドリュースはもっとも彼に恩義を感じている女優だろう。アンドリュースは舞台出身の女優だが、ブロードウエイで彼女の当たり役だった『マイ・フェア・レディ』が映画化されるという段に、当初は彼女が主演女優の第1候補だった。しかし、最後には映画世界でほとんど実績がないアンドリュースに興行面での不安を感じた製作会社が彼女を認めず、当時エリザベス・テーラーと人気を二分していたオードリー・ヘプバーンがキャスティングされてしまうことになる。舞台の上ではスターだったアンドリュースが映画界に全く受け入れられなかったことで、彼女は落ち込んだが、そんなときにめぐってきたのが、ワイズが映画化する『サウンド・オブ・ミュージック』のマリア役だった。このマリア役には、やはりオードリー・へプバーンをはじめとし、ドリス・デイ、デボラ・カーなどの実績ある映画女優がその候補に登っていたのだが、ワイズの一声で映画界では未知数のアンドリュースが起用されることになる。今でこそ、アンドリュースのマリア役は他に取って代わるものがない彼女の代表的なはまり役だが、当時のこのキャスティングはギャンブル的な要素が多分にあった。
このキャスティングが決まった後に彼女が映画初出演、初主演したディズニーの『メリー・ポピンズ』が予想外の大当たりを記録して彼女はスターとなった。この『メリー・ポピンズ』も彼女とディズニーの契約では、もしも『マイ・フェア・レディ』のイライザ役が決まった場合は降板できる条項が含まれていたという。しかし、決まらなかったことが彼女に新たな道を開くことになった。そして翌年出た『サウンド・オブ・ミュージック』も世界的な大ヒットを記録して、名実ともにスーパースターの地位まで登り詰めてしまうことになる。アンドリュースの才能を見抜いて、キャスティングしたワイズの見識は確かだった。この映画でマリアが家庭教師をするトラップ一家の兄弟を演じる子役たちも、ほとんど映画経験のない素人同然の子供だった。彼らを使って、新鮮で健康観のあるファミリーが演出されているのである。ワイズは「監督の仕事の大方は、適材適所のキャスティング」といっていたそうだが、確かに彼の作品では彼が選定した俳優たちの個性がそのままキャラクターに引き継がれて、自然な演技を引き出すことに成功している。ただ、個人的には『ウエスト・サイド物語』の主役二人、ナタリー・ウッドとリチャード・ベイマーは残念ながらどうしても好きになれない。この二人が本当に唄えて踊れる役者だったら、いうことはなかった。故人には申し訳ないが、それだけは名匠ワイズといえども、あまり評価できない点だ。
その後、ワイズは『スター!』でもアンドリュースを起用して、彼女の魅力を引き出している。アンドリュースをはじめ、ポール・ニューマン、クリストファー・プラマー、ロバート・ライアンなど、ワイズのもとで映画人として鍛えられた俳優は多い。そういう意味でも、彼の存在というのは映画界で決して小さいものではなかった。
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今でも『ウエスト・サイド物語』の「クール」「アメリカ」「クインテット(トゥナイト・アンサンブル)」、『サウンド・オブ・ミュージック』の「エーデル・ワイス」や「ド・レ・ミの唄」、両者の冒頭場面などは、何度もリピートして見ている。この二つのミュージカルは他にも好きな曲がいくつかあるが、映像作品としてみたときは、これらのデキは素晴らしく、何度見ても飽きることはない。私のフェイバリットなのだ。ビデオが普及して以降、これらの場面をいつでも見ることができるようになったことは本当に嬉しい限りだ。ワイズがこれらを製作した時代には、思ってもいなかった事態に違いない。それだけに彼の残した作品の素晴らしさを新たに発見することもしばしばである。見れば見るほど、その魅力を知ることになった。これらの作品の製作者ワイズの死去は、本当に寂しい限りである。ご冥福をお祈りしたい。
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